抱っこしても泣き止まない。
オムツを変えても泣き止まない。
ミルクをあげても泣き止まない。
これを読まれている皆さん、子どものグズリ泣きに悩まされておりませんか?
子どものグズリ泣きっていつ起こるかわからないので本当に大変ですよね。
これが夜中でも続いて近所から
「うるさいわ!」
って苦情が来たら気も滅入ってしまいますよね。
私の所も最初倫太郎のグズリに悩まされて、家庭崩壊直前まで行きました。そんな所、職場の課長から紹介され、その友人が教えてくれたあるものを使ってみた所、倫太郎のクズリがピタリと止まりました。
今ではこれなしでは生活できないくらい重宝しています。最初は半信半疑だったのですが、友人である鹿山が体験して泣き止んだのを知って借りてきて実際に試してみた所、本当に泣き止んだので買うことを決意しました。今ではみゆき同様これなしの生活は考えられません。
そのことについて詳しいことはこちらで紹介しております。
この記事を読まれている皆さんに質問です。「学習」と「教育」の違いってわかりますか?
私は職場の先輩に教えてもらうまでこの違いわかりませんでした。
職場の先輩が熱く子どもに対して「学習」が大事であることを話しておりましたので、紹介します。
この記事を読んでいただくと、この意味が理解できると思います。
いろいろな幼児教室や、通信教材、知育教材などで「早期教育」がブームとなっています。
小学校に入るまでに、ひらがなを読むことができるこどもは約90%というデータもあるように、教育は、ますます低年齢化を迎えています。
「幼児期に勉強なんて必要ないわ。こどもらしくおもいっきり遊んでくれればそれだけで充分。」
そう思い、子育てをしている親御さんも、心のどこかで小さな焦りがあるのではないでしょうか?
「早期教育は、必要よね!早い時期からいろいろな習い事で視野を広げさせてあげるのも、親の仕事!」
そう思い、子育てをしている親御さんも、今しかない幼児期をこどもらしく過ごさせてあげる方がいいのではないか?と思い悩むこともあるのではないでしょうか?
両方とも、自分のこどもの将来を思うからの悩みであり、これが正しいという答えはありません。
だからこそ悩む。そうですよね。
そもそも、学習とは、どういうことなのでしょうか?
教育とはどういうことなのでしょうか?
机に座ってお勉強すること? ひらがなやカタカナが書けて、足し算ができるようになること?
『学習』と『教育』
一見同じもののように考えますが、実は、この二つ、『似て非なるもの』であることご存知ですか?
そもそも学習と教育って?
デジタル大辞泉(小学館)によると以下のようになっています。
『学習』がくしゅう
- 学問・技術などをまなびならうこと
- 学校で系統的・計画的にまなぶこと
- 人間も含めて動物が、生後に経験を通じて身につけていくこと。不安や嫌悪など好ましくないものの体得も含まれる。
引用先:デジタル大辞泉(小学館)
つまり「学習」とは学校などで学問や技術などを計画的に習い、学ぶこと。人間も含めて動物が、経験を通じて知識や環境に適応すること。≪学ぶ立場:能動的≫
『教育』きょういく
- ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。「教育を受ける」「新入社員を教育する」「英才教育」
- 学校教育によって身につけた成果。「教育のある人」
引用先:デジタル大辞泉(小学館)
「教育」は意図的計画的に相手に対して働きかけることで、望ましい姿に変化させ能力を伸ばそうとすること。≪教える立場:受動的≫
つまり、こどもが「自律的に学んでほしい」「主体的にやりたいことを見つけてほしい」「好きなことを見つけてほしい」という思いを持って、親がこどもを導くこと、これが≪学ぶ立場である学習≫です。
親として「こんな風にこどもを育てたい」「こういう人間になってほしい」「我が子はこうあるべきだ」というようにイメージしてそれに向かって指導すること、これが≪教える立場である教育≫になるというわけです。
この内容を理由も含め詳細に説明している動画がこちらです。よろしければご覧ください。
さて、学習と教育に、このような違いがあることがわかりました。
そこでみなさんに質問です。
大切な幼児期、こどもが自発的に『学習』をしてほしいですか?
それとも、『教育』を受けさせたいですか?
これからたくさんのことを学び成長していくこどもたちには、いつか必ず受けることになる『教育』ではなく、『学習』をしたいと自発的に思う気持ちを育ててあげたい。
そう思いますよね。
冒頭であった、「教育は必要ない」という考えも、「視野を広げてあげたい」という考えも、両方、正しいです。
違う価値観の考えかと思いきや、『学習』できる子にしてあげたい。
私たち、親の願いは、同じでした。
それでは具体的に『学習』できる子とは、どういうことなのでしょうか?
私たちが子どもの頃からあるこどもちゃれんじはこどもの興味をひくのが上手です。
子どもの興味と合致すればのめり込んでくれます。
その体験談についてはこちらを参考にしてください。
こどもは毎日学習している!
まず始めに、知っていていただきたいこと。
この時期のこどもたちは、毎日数えきれないほどの学習をしているということです。
0歳のこどもが、自分の手を不思議そうに見て、これは自分の手?と気づくこと。
1歳のこどもが、コップにくんだ水をバケツに移して、溜まった!と気づくこと。
2歳のこどもが、枯葉をにぎってみたら、カサカサと音が鳴った!と気づくこと。
おともだちとケンカをすること、たまには悪いことをして先生に叱られること。
誰かに喜んでもらって嬉しいと思うこと、いじわるをしてしまって後悔すること。
こどもたちは、心と体をいっぱい使って、『学習』をしているのです。
それでは、私たち親は、何もしなくていいのでしょうか?
親の役割は、環境を整えてあげること!
コップを用意して水遊びをさせてあげなければ、水の不思議には気付けません。
ゆっくりお散歩をさせてあげなければ、枯葉の音にも気づきません。
お友達や先生とともに過ごす時間を与えてあげなければ、人とのかかわり方を学習することはできません。
私たち親の役割は、こどもが興味あることにいち早く気づいて、情報を提供してあげることにあるのではないでしょうか?
私の息子は、ベビーカーに乗っている頃から、電気や機械などの人工物が好きでした。
「ほら、鳥さんが飛んでいるよ。」
「あっ!どんぐりが落ちているよ!拾って帰ろうか!」
「夕焼けがきれいだね。もうすぐ夜がくるね。」
自然の多い地域に住んでいることもあり、毎日朝夕お散歩に連れて行き、たくさんの自然を見せ、話しかけましたが、当の本人は、まったく興味がありません。
育児書には、
「たくさんの自然を見せましょう。移りゆく季節や風景をお話ししてあげましょう。お外の美しさにきっと笑顔になるでしょう。」
などと書いてありますが、同じことをしても、まったく反応がありませんでした。
息子が好きなもの。
それは、民家にあるクーラーの室外機や、消火栓、マンホール、電柱、電線・・・。
それらを見つけると嬉々として寄っていき、うっとりとした表情で、いつまでも眺めているのです。
初めてのこどもだったこともあり、この子は少しおかしいのではないか?と悩んだこともありました。
他の子は、お母さんといっしょにお散歩をして、キラキラした目で自然と戯れているのに、うちの子はなぜ・・・。
発達障害?自閉症?完璧主義なところがある私は、こどもの『普通ではない』ことを受け入れられず、眠れない夜もありました。
そんなある日、息子を本屋さんに連れて行くと、熱心に見ている本がありました。
どうなってるの?きかいのなか
文/コンラッド・メイスン 絵/コリン・キング 訳/福本友美子
トイレの水ってどうしてながれるの?電球のなかってどうなってるの?土をほりおこすショベルカーはどうやって動くの?大きな船がどうして水にうかぶの?ひこうきはどうして空をとべるの?身のまわりの道具から大きなきかいのしくみまで、どうなってるのかなあと思ったら、この本でしらべよう。しかけをめくれば、くわしくわかるよ。
内容:(「BOOK」データベースより)
引用:楽天市場
内容も難しいし、絵本のように簡単に読んであげられるような本でもありません。
でも、息子は、私が買うというまで、その本を抱きしめて離しませんでした。
その日から、息子は、毎日その本とともに過ごしました。
本をめくっているときの、息子の目は、キラキラと輝いていて、私がずっと見たかった、こどもそのものでした。
こどもがみんな育児書に書かれてあるとおりに育つわけではない。小さいときから個性があるんだ。
頭ではわかっていた、そんな当たり前のことが、胸にすとんと落ちた出来事でした。
それから息子は、懐中電灯を分解してみたり、温度湿度計を冷凍庫に入れてみたり、マグネットがくっつく場所を家じゅう探し求めたりと、自分で考えた科学の実験?を繰り返しながら、3歳のクリスマスを迎えました。
そんな彼が欲しがった物は、「電脳サーキット100」という電子回路を作るおもちゃでした。
対象年齢は6歳からだったので、少し難しいかな?と思いながらも、与えたおもちゃでしたが、好きこそものの上手なれ。
次々とさまざまな回路を作り、私を驚かせました。
直列・並列の回路から始まって、モーターでプロペラを飛ばす回路、暗くなるとランプが点灯する回路、息を吹きかけるとランプが消える回路など100以上の回路を作り続けました。
その後息子は、電子回路の図面を自分で読みたいという一心で、ひらがなとアルファベットを覚えました。
『教育』したのではありません。小さいながらも、必要に迫られて『学習』したのです。
5歳の今では、電脳サーキット クリーンというおもちゃを使って、太陽光発電や水力、風力発電で作った電力で回路を作ることに熱中しています。
本にしても、おもちゃにしても、こんなものがあるよ!と情報を提供するのは親だと思います。
こどもの興味があること、好きなことを、学びたいと思っている時期に与えてあげる。
これだけは、こどものことを毎日、しっかり見ている親御さんにしかできないことです。
2歳だから、3歳だから、という区切りではなく、こどもの好きなことを思う存分できる環境を作り、年齢を越えて『学習』させること。
それが、本当の意味で知的好奇心を刺激し、自発的に『学習』できる下地ができるのではないでしょうか?
息子は、幼稚園に通っている今でも、少し変わったところがあり、おともだちとうまくやっていけているのか、少々不安なところもあります。
でも、自分の好きなことを知っていて、必要なときには努力ができるなら、それでいいんだと、こども自身の個性を認めてあげられるようになりました。
まとめ
- 『学習』と『教育』は、似て非なるもの
- 『学習』とは、自律的に学ぶ、主体的にやりたいことを見つけるなど、こども本人の意思で学ぶこと。
- 『教育』とは、親が「こんな風に育てたい」「こういう人間になってほしい」というイメージして、それに向かって指導すること。
- こどもたちは毎日、心と体をめいっぱい使って『学習』している。
- 親の役割は、こどもが『学習』できる環境を整えること。
- こどもの個性を認めて、応援することが、自主的に『学習』できる下地を作る。
子育てをしていると、さまざまな情報に左右されます。周りと比べてしまいます。
仲良しの○○くんはもうひらがながかける、足し算もできるのにうちの子は全く興味がない。
少しでも机に座って勉強させようとしても、10分も続かない。
習い事にいっても、やる気がないし練習もしない。
そういった場合、やらせたい、習得させたいと思っていることが、本当に自分のこどもにとって合っていることなのか、それをこどもが本当に『学習』したいと思っているのか、一度考えてみるのをおすすめします。
車が好きなら、いろんな車種が乗ったカタログを取り揃えてみたら、ひらがなより先にカタカナを覚えるかもしれません。
音楽が好きなら、楽譜付のCDを置いておくと、数字よりも先に楽譜が読めるようになるかもしれません。
こどもには無限の可能性があります。でもそれは、育児書のとおり成長するとは限らないのです。
いちばん近くでこどもを見守る私たち親が、こどもの好きなことを見つけ、引き出す環境を整えてあげることが、幼児期の学習にいちばん必要なことではないでしょうか?
抱っこしても泣き止まない。
オムツを変えても泣き止まない。
ミルクをあげても泣き止まない。
これを読まれている皆さん、子どものグズリ泣きに悩まされておりませんか?
子どものグズリ泣きっていつ起こるかわからないので本当に大変ですよね。
これが夜中でも続いて近所から
「うるさいわ!」
って苦情が来たら気も滅入ってしまいますよね。
私の所も最初倫太郎のグズリに悩まされて、家庭崩壊直前まで行きました。そんな所、職場の課長から紹介され、その友人が教えてくれたあるものを使ってみた所、倫太郎のクズリがピタリと止まりました。
今ではこれなしでは生活できないくらい重宝しています。最初は半信半疑だったのですが、友人である鹿山が体験して泣き止んだのを知って借りてきて実際に試してみた所、本当に泣き止んだので買うことを決意しました。今ではみゆき同様これなしの生活は考えられません。
そのことについて詳しいことはこちらで紹介しております。