中学校生活といえば、何を思い浮かべますか?
勉強やテスト、高校受験、友達、恋愛など、勉強を中心としながらも色々な経験ができ、とても多感で大切な時期だと思います。
そこには部活動も入ってくることがあると思いますが、それが頭の大部分を占めるような状態になったらどうでしょうか。
楽しみながら切磋琢磨して、自分を成長させてくれるような状況ならよいのですが、もしそれが心も体も辛くなり、でも逃げることが許されないような状況だとしたら…
私が中学校に入学し、入部したのは剣道部でした。
そこで経験した「1割楽しいが9割苦しい」部活の思い出と打開策をまとめました。
後悔するようなことにならないように、少しでも参考になればと思います。
目次
学校生活をより充実させたいと思い入部
私が通った中学校は比較的新しく、勉強も部活動にも力を入れている学校でした。
一時期は県内の公立中学校で学力1位を取ったこともあるそうです。
その当時は運動部も文化部も充実しており、新学期が始まってまもなく、放課後はみんな部活見学をしなければなりませんでした。
私は特にこの部に入部したいという希望もなく、見学しながらじっくり考えようと思っていました。
その当時興味があったのは、芸術関係よりも体を使う部活だったので、まずは運動部からと思い、いつも一緒の友達の希望もあり、バスケットボール部を見学しに行きました。
向かった体育館にはたくさんの見学者が来ており、部員も多かったように見えました。
国民的人気のバスケット漫画がアニメとして放送していたということもあり、新入生の入部希望者も一番多かったようです。
その中には、小学校時代に喧嘩をし、接点をもたなくなった同級生も入っていました。
「球技は好きだけど、この人数ではスタメンに入るのも難しそうだし、あの子と同じクラブは気まずいなぁ。」
と思い、候補から外しました。
次に見学に行ったのが、後に入部した剣道部でした。
正直言ってあまり興味はありませんでしたが、友達が見学したいというので、付き添いのつもりで行きました。
実際に剣道の練習風景を見るのは初めてだったので、まず迫力に圧倒されました。
その時、2年生の先輩が私達の所にやって来て、(防具は着ていなかったので、恐らくその時期だけの勧誘担当だったのだと思います。)笑顔で話しかけてきました。
「剣道部はみんな仲が良くて楽しいし、先輩も優しいよ。初心者から始めている人も多いし、ちゃんと教えるから安心してね。」
実際に目の当たりにすると、道着姿がとてもかっこよく、また部員同士のやり取りが楽しそうに見えたので、友達と相談し、入部することに決めました。
今思えばもう少し他の部活も見学してじっくり決めても良かったのに、当時の私は知る由もなく、これから始まるであろう充実した毎日に期待し、ワクワクしながら学校に通っていました。
初めは良かったが
優しい3年生
新入生で入部したのは、男子4人・女子9人でした。2年生は男子2人・女子3人、3年生は人数は忘れましたが、男女とも7~8人はいたと思います。
入部当初の練習は主に基礎練習という名のグランド10周+筋トレ30分。そして竹刀を使った素振りとすり足・踏み込みの練習でした。
すり足とは、移動するときに足を床に擦りながら進むことで、踏み込みは打突(面胴小手を攻撃する)の時に、左足で床を蹴り、右足で踏み込むように前に出る動きです。
これが結構難しく、先輩に教えられながら毎日練習に励みました。
1年生の女子は全員初心者だったので、(男子は一部経験者)同じスタート同士、同じ練習メニューをこなしました。
当時の部長・副部長を筆頭に、3年生はとても優しく、且つ丁寧に教えてくれました。
時には雑談も交えながら、和気あいあいと過ごすことができており、部活に行くことが楽しみでもありました。
2年生は練習に専念しており、この時は練習中あまり接することがありませんでした。
3年生の引退
1学期も半分くらい過ぎたころ、ついに注文していた道着と防具を着ることができる日が来ました。
憧れの防具を着ることで身が引き締まる思いをしながらも、装備することが難しく、先輩の手を借りながら何度も着脱の練習をしました。
防具を付けるようになったと同時に、いよいよ先輩に交じっての練習が始まりました。同時にそれまで殆ど接点が無かった顧問の先生の指導を受けることになりました。
男女混合の部活だったので、力の差や体格差に少し不安を感じてはいましたが、優しい先輩や友達がいたので、乗り越えられるだろうと思っていました。
その後、夏休み前に行われた地区大会を最後に、3年生は引退となりました。
それからは2年生と一緒に、初心者経験者関係なく練習に励んでいくことになりますが、同時に苦しい日々の始まりとなりました。
厳しすぎる練習
3年生が引退してから部長・副部長が交代し、2年生が天下を取ったような状態になりました。
例年、部長は男子・副部長は女子と決まっていましたので、男女共に部で一番強い人が顧問によって任命されます。
それまで3年生の人数が多かったため、あまり意識していませんでしたが、2年生は全体的に経験者が多く、また新しい部長・副部長は前任者とは違い、気が強い人でした。
勧誘時に優しかった先輩も、副部長となったこの人には逆らえないといった雰囲気で、私たちへの接し方が変わってしまいました。
さらに、顧問の女性の先生は体育教師ということもあり、そのまんま体育会系を地でいくようなタイプでした。
それまで和気あいあいとした雰囲気だったのが一変し、人数が少ない2年生だけでは試合に出られない(団体戦は5人で出場)ということで、1年生の中からレギュラーを選出するべく、厳しい指導が始まりました。
朝練は7時から夕練は18時まで
通常は8時半から1時間目が開始されるので、8時15分頃登校することが多かったのですが、朝練がある日は掃除や準備などがあり、道着や防具を着用するのにまだ時間が掛かるため、6時半頃には着くように家を出ていました。
(私の家から学校まで徒歩15分ほどです。)
どうしても寝れるだけ寝たいと思ってしまい、ギリギリの時間で行動するので、朝食を取る時間を削っていました。
空きっ腹の状態でハードな練習をこなし、ようやく終わったと思ったら通常の長い授業時間が始まります。
この時からハードな練習による疲労からうっかり授業中に寝てしまうことがちょこちょこ出てくるようになってしまいました。
初めて寝てしまったときに、クラスメイトに笑われてしまったことを今でも憶えています。
授業時間が終わると、また練習が始まります。
約2時間半ですが、ほとんど休憩なく打ち込み練習をするので、帰るころにはクタクタになります。
ようやく家に帰るとすぐ食事の時間で、入浴後は宿題等をしなければならないので殆ど娯楽の時間が持てませんでした。
しかしここでも睡魔が襲ってしまい、せっかく復習しても頭にあまり入らないということもよくありました。
夏休み返上の合同練習
期末テストも終わり、「これからは楽しい夏休み!」と思っていたら、そうはいきませんでした。
夏休みの7割方部活動があり、他校に遠征しての合同練習も加わりました。
重い防具を肩に下げ、電車やバスに乗って現地に向かうのは辛いものがありました。
その日練習する学校に着くと、休む間もなく着替えをし、朝稽古に入ります。
他校の顧問の先生もたまたまかもしれませんが、体育教師が多かったようで、今までより一層厳しい練習になりました。
現代では、熱中症の危険性がうたわれているので水分補給を重視してくれるかと思いますが、当時はそれが許されず、飲み物を飲めるのは束の間の休憩時間のみでした。
中には過呼吸などで倒れてしまう部員もいましたが、練習は変わらず続きます。
中には、「水分補給すると疲れるから飲むな!」と言う今となっては即テレビに出るような精神論を貫く顧問もいましたよ。
正直、今でもこの手の精神論を通して「部活漬けにするのが大事!」と言うのは出てこないだけであると思います。
私はこの手の精神論は大嫌いです。
さっさと部活を辞めてしまって勉強に集中した方がいいと思います。
部活で身体を壊しても、救済してくれませんよ。
その点、勉強ができたらどうにかなります。
恐怖の合宿
8月に入るやいなや、4泊5日の強化合宿が行われました。
朝5時半から大荷物を背負いながら、自転車で10キロ程の道を走りました。
現地に着いたら休む間もなく荷物を置いて、掃除と着替えに入ります。
合同練習と同様に、朝から3時間程の素振り・打ち込み練習・練習試合などをこなし、1時間半ほど昼食を兼ねた昼休憩を取りました。
暑さと疲れからか食欲が沸かず、ろくに食べることができずにスポーツドリンクをひたすら流し込みました。
この時に初めて、空きっ腹に冷たい飲み物を一気に入れると激しい胃痛がするという経験をしました。
休憩が終わったら、再び汗で濡れた道着に着替え(とても不快でした。)夕方までひたすら練習です。
その後ひたすら咀嚼するだけの夕食を取り、銭湯で汗を流してやっと眠れるかとおもったら長い反省ミーティングが始まりました。
そこでしこたま絞られたあと、布団に入れたのが22時半頃だったと思います。
学校の近所にある公民館が宿泊先だったので快適とは程遠く、また枕が変わるとなかなか寝付けないタイプだったので、結局何時に眠れたのかはわかりません。
翌朝は5時に起床し、1年生は掃除をしてから朝練に入ります。
その後朝食を挟んでまた昨日と同じ1日が始まります。
それが何日か繰り返され、疲労がピークになったある日、よれよれの体を力いっぱい押され、真後ろに倒れてしまい頭を打ちました。
軽い脳震とうになり、やっとしばらく横になることが許されました。
その時は痛みや苦しみよりも、休める嬉しさの方が勝っていました。
翌日には普通に動けるようになったのでまた同じ1日だったのですが、ついに心が折れてしまい、気づいたら休憩時間に公衆電話へ走っていました。
あまりの辛さに、親に助けを求めてしまいました。
中学生にもなって泣きながら親に電話する様子は、今思えばほとんど極限の精神状態だったのだと思います。
「もう少しだけ頑張れば帰れるから」
あと1日だったということもあり諭されてしまいましたが、吐き出せたことで少し落ち着くことができました。
しかし、残りの1日のことは無心だったのかあまり記憶にありません。
怪我が絶えない日々
入部当初から慣れない練習により、数々の怪我をしてしまいました。
- すり足により、足の裏が豆だらけになり、皮がむける
- 踏み込みを失敗し、右足のかかとを強打し傷める
- 小手受け(小手への打突練習を受ける)で左腕を打撲
- 胴受け(胴への打突練習を受ける)で腰骨を強く叩かれ打ち身
- 常に左かかとを浮かせて移動しなければならないので、負担がかかり捻挫
足にはテーピング、腕にはシップや包帯という満身創痍な状態が多かったです。
特に捻挫してしまった左足の甲は、私生活にも影響を及ぼしました。
体育で走ろうと思っても、スタート時に痛み、得意だった高跳びも思うように跳べなくなりました。
階段を登るのにも一苦労し、病院通いの日々でした。
そんな中でも部活はこちらから強く訴えない限り休ませてもらえず、挙句に次の試合のメンバーに入れると言われてしまいました。
厳しい練習に耐えられず、退部する1年生が続出したからです。(女子9人中4人)
思い通りにならない足を引きずりながら、より厳しい練習。
足はなかなか治らないし、さすがにもう私も無理かもしれないと思うようになりました。
自分を取り戻すために
退部する勇気
毎日毎日部活に支配された生活は、勉強する時間も遊ぶ時間も寝る時間でさえも削られていき、遂には勉強に付いていくことが難しくなりました。
怪我した足も部活を続ける限り良くなることは無く、心の方もだんだん重くなり、何のために学校に通っているのか目的が見いだせなくなりました。
そんな私を見かねてか、両親が部活を辞めることを提案してきました。
合宿の最終日に泣きながら電話してきたことや、部活漬けでここ最近満身創痍になっている私をかなり心配していました。
人に後押しされたことによって、ようやく辞めることを伝える決心と勇気が出てきました。
とは言っても、やはり一筋縄ではいかず、あれやこれやと引き留められました。
しかし、この部活は私にとってプラスにはならない。むしろマイナスだと強く思い、断固拒否しました。
最後には人格否定するような酷いことを言われましたが、この先生に嫌われたところで、あと2年ほど我慢すれば会うこともなくなります。
今までの苦痛を考えれば平気です。
退部届が受理された瞬間、心が晴れやかになりました。
やっと普通の生活が送れることがこんなに嬉しいとは知りませんでした。
正直こう言う教師に当たった場合は、何言われようが無視してこの友人の妹のように辞めてしまうのがいいですよ。
嫌な部活を続けて身体も精神も壊れてしまうよりかは、ずっとかマシです。
そして、書いておりますが、正直卒業したらよほどのことでない限り学校の先生と再会することはありませんので心配しなくていいですよ。
次は文化部へ
私の学校では基本的にどこかの部活に入部しないといけなかったので、次に入部するところを決めなくてはなりません。
また部活選びを失敗してしまってはいけないので、条件を洗い出しました。
- 文化部である(運動部はもう懲りたので)
- それほど活発に活動していない
- 顧問の先生が体育会系ではない
- 部員が少なすぎない
要はあまり部活にウェイトを置かない生活がしたかったのです。
高校受験のことも考えなければならないし、何より学生の本業である勉強を疎かにしては、今後の人生にも影響すると思いました。
再度見学をし、条件に合う部活を見つけ、科学部に入部しました。
理科室に部員が何人か、いろいろ実験をしていますが、ゆるい雰囲気で顧問の先生もその場にいなかったり、出席を取ったりもしていません。
元々幽霊部員が多いようで、多少さぼっても何も言われず、私にはありがたかったです。
活動内容もあまり記憶になく、唯一憶えているのは、成分によって炎の色が変わるロウソクを作ったことぐらいです。
このような状況の中で、何とか最後まで籍を置くことができました。
勉強の遅れを取り戻す為に塾へ
剣道部を退部したのが2年生の6月ごろだったのですが、高校受験に向けて塾に行き始める同級生が増えてきました。
その当時の私の成績は真ん中くらいでしたが(入学時は上の中くらい)、行きたい高校があり、そのままでは恐らく合格できない状態でした。
仲良かった友達も通っているということで、まずはR塾に入ることにしました。
クラス分けは2クラスのみとなっており、入塾テストによりかろうじて上のクラスになりましたが、トップクラスの成績の人とは偏差値が軽く15ほど違うほどの差でした。
そんな中で着いていくことは大変で、分からないことがあっても度々聞きにくい雰囲気でした。
また、入塾したことで新しい友達もでき、剣道に打ち込んでいた時期に、忘れていた友達と遊ぶ楽しさを思い出しました。
気の緩みから、買い物に誘われると、つい一緒にさぼってしまうこともありました。
成績は少しづつ上がっていってた感じでしたが、2年生の3学期のある日、塾長にこう言われてしまいました。
塾長「君は志望校に行くには偏差値が怪しいから、受験する高校のレベルを下げろ」
「正直身の丈に合ってないかな…」
とは思っていましたが、突きつけられるとショックでした。
あと1年ほどで受験なので、もっと本腰入れないとまた後悔することになる。
そうなってからでは取り返せない!
と思い、親とも相談の上、塾を辞めて家庭教師に来てもらうことになりました。
受験ラストスパートは家庭教師で
1年以内に挽回するために、家庭教師に私も見てもらうことになりました。
いまからでもS高校に合格することができるか尋ねたところ、
「まだあと1年ある!不得意な教科を勉強するより、得意教科をもっと伸ばしていこう。」
と言われ、やる気が出てきました。
私は数学と英語が比較的得意で、社会が嫌いでした。
ひたすら暗記するということが苦手だったからです。
マンツーマンで勉強を教えてもらうということは初めてだったので緊張しましたが、すぐに打ち解けました。
疑問があっても納得するまで聞くことができ、時間内は気兼ねなく教えてもらうことができるのでやりやすかったです。
模試でも、初めC判定だったのが念願のA判定を取れるまでになりました。しかも志願者の順位で上の方になったのです。
模試の結果を見せると、先生も自分のことのように喜んでくれました。
自信を付けたことにより、みるみる成績は上がり、受験当日何もなければまず大丈夫だろうと言ってもらうまでになりました。
努力が実を結ぶ
高校受験当日は、体調も良く、ついでに天気も良かったと思います。
多少緊張はしましたが、家庭教師の先生に教えてもらったように、得意なところから解いていき、分からないところは時間が余ればじっくり考えるようにしました。
幸い受験対策で教えてもらったところが多く出題され、いつもより良い出来だったと思います。
数日後、父と一緒に合格発表に行きましたが、自分の受験番号がちゃんと載っており、晴れて憧れのS高校に通うことが決まりました。
本当に大切な事とは
中学生にとって大切な事とは、言うまでもなく勉強です。
それにプラスして、友達、趣味、時には恋愛も。
部活も大切かもしれませんが、部活中心にする必要ははっきり言ってありません。
私の中学生活は、6割部活、3割勉強、1割その他というものでした。
正直言ってそこまで部活に捧げる必要は無かったのにと今となっては思います。
幸い行きたい高校に行くことはできましたが、友達と色々なところへ遊びに行ったり、家族とテレビなどを見ながら他愛ない会話をしたりという思い出があまりありません。
この時にしか経験できないこともあったかと思いますが、もう取り戻せないのです。
まとめ
- 体育会系部活は厳しいところが多いです。
- 部活に支配されると勉強だけではなく、遊びや睡眠も削られます。
- 怪我をしたら、無理せず休みましょう。後々に影響します。
- 辛いときは辞める勇気を持ちましょう。
- どこかへ入部しなければいけない場合、ゆるめの文化部への入部をお勧めします。
- 塾は場合により質問しづらかったり、雰囲気次第で集中できないことがあります。
- 家庭教師に教えてもらう場合、遠慮せずに納得のいくまで疑問を解消しましょう。
- 中学生活で優先させるべき大切な事は何かを考えましょう。
あの時捻挫した左足は今でも天気が悪い時に時々痛みます。
その時にあの苦い思い出も一緒に蘇ってきます。
部活は決して苦しんでまで続けるべきものではありません。自分に必要では無いと思えば、逃げてもいいんです。
私のように後悔してしまわないように、少しでも早く楽しい日々を取り戻しましょう。
この記事でも言っておりますが、中学生の本分は勉強です。
この記事のように正直「部活動が命!!」という先生もいます。
そんな人の言うことは聞かなくてもいいです。
そして、そう言う人に限って辞めるときには人格否定の言葉を言ってきます。
中学時代からブラック企業の教育をされてはたまりませんよね。
さっさと辞めてしまって勉強に専念しましょう!
正直テストの成績さえ良ければ進学校へは普通にいけます。
それが今の日本の教育制度です。
なお、絶対部活動に入らないといけない所もあると思いますので、そう言う時はこの記事でも言ってますが文化部で目立たない部活にしましょうね。
そして、学校の先生の話だけでは成績がなかなか上がらないこともあります。
学校の先生も教え方は人それぞれで上手い人もいれば下手な人もいます。
と言うより下手な人の方がほとんどです。
学校の先生の場合うまく教えることが本文ではないです。
なので、そう言う場合は塾や家庭教師を頼りましょう。
高校受験を目指す方にとってはこちらの記事をお勧めします。
先ほども書きましたが、中学生で一番気になる事が、「勉強」になります。
中学受験を経験する方もいらっしゃいますが、多くの方にとって高校受験が最初の大きな受験になります。
人生には2〜3回(人によっては4回以上の時もあります)の大きな試練があります。
その1つめの関門が「高校受験」です。
ここで最初の線引きが行われます。
この高校受験を最高の形で終わらせる事ができるように、早い段階から対策を行なっていくのがいいです。
その事について紹介しているのがこちらになります。
小学校6年生の時には点数すらかかれないほど成績の悪かった少年が、家庭教師をつける事によってその地区で最難関の高校に合格する話になります。
中学生の場合塾通いになると最悪夜遅く帰ってくることになり、犯罪に巻き込まれたり補導されたりする可能性がありますので、その点から考えても家庭教師はお勧めです。
今の時代、家庭教師が家に来なくても教えてくれる時代になっております。
素晴らしい時代になりましたね。
多くの方で「部活」を思い浮かぶと思います。
私が通っていた中学校は部活動必須ではありませんでしたので、勉強に専念するために帰宅部にしました。
中学生の本分は勉強です。
中には、「部活」を本分と考えている人もいますがそれは間違いです。
正直部活でいい成績とっても評価されるのはオリンピック選手くらいにならないと意味がないです。
これは私の友人の妹の例になりますが、部活の練習が重すぎてどうするか迷った話になります。
正直、部活動が重すぎるのでしたら、さっさと辞めて勉強に専念した方が私はいいと思ってます。