皆さんは子どもの頃、習い事はしてましたか?
水泳やバレエ、サッカーや野球、英語にピアノ…様々な習い事がある中で、その習い事を選んだ理由も、勿論様々にある事でしょう。
「私は◯◯を習っていたから、子どもにもやらせたい」
「◯◯はとても大変だったし、辛かったから子どもにはやらせたくない」
こんな風に考えた事もあると思います。
もし、考えた事があるのなら、大事な子どものサインを見逃しているかもしれません。
この機会に一度、じっくりと考えてみましょう。
どうして習い事をさせるのか
そもそも習い事は「義務」ではありません。ですが、娘の通う小学校でもクラスの半数以上が何かしらの習い事をしています。
そして、その中の大半が「子どものために習わせてる」という親の独断です。
- 体が弱かったから
- 強い子になってほしいから
- 学校の勉強についていけるように
- 将来の事を考えて
もちろん、理由はこれだけではありません。ですが、親の独断で選んだ習い事の大半を占めるのは上記のような理由です。
どうして習い事をさせるのか、の第一の理由としては「親が決めたこと」なんです。
子どもの意思を尊重して
大半は「親が決めたこと」と書きましたが、もちろんそれが全てという訳ではありません。
子どもが「習いたい」と言ったから始めた、というご家庭だってあります。
3年生にもなると、少なからず「夢」を現実的に意識し始める時期でもあると思います。
それは学校生活を通じて、様々な知識を吸収し、また、友達や先生といった家族以外と会話をする事で得られる事が大きく関係しています。
例えば、家庭内で誰も使わないような言葉遣いをしてみたり、家で今まで気にもしていなかったテレビ番組を見たがったりする事があります。
これらの事は、決して良い事ばかりとは言えませんが、だからといって悪い事ばかりという訳でもありません。
知識を広げ、結果として物事を今まで以上に現実的に捉えるようになります。
そして自分のやりたい事、興味がある事に対しての「道」を模索します。
親としては当然、子どものやりたい事を応援したいです。
でも、その支援が過剰になり、子どもの先に立ってしまったり子どもの気持ちを無視したりと、空回りになってしまわないようにする事を忘れないようにしてください。
習い事の掛け持ち、本当に必要?
これから書くことは娘が1年生の頃の話です。
「本当に大切な事はなにか」
と私自身もとても考えさせられた事件だったと思います。
小学校に入れば、今まで以上に友達の幅は広がります。娘は元々、小規模の幼稚園を卒園しているので、遊ぶ子も大体が特定の子でした。
それが、小学校に入り、様々な子が居る中できちんと友達関係が築けるのかと不安でした。
ですが、5月に入る前にはすでに様々なお友達の名前を聞く事ができ、近くにある公園で沢山の子と遊ぶ事が増え、私の心配をよそに楽しそうな娘をみてとても安心しました。
が、梅雨が明けた頃、娘から一人の男の子の名前をよく聞くようになりました。
それも、あまり良い意味ではない方でした。
「A君に叩かれた」
「A君が◯◯ちゃんを蹴った」
「A君が皆に悪い言葉を使った」
これを聞いた私は
「ケンカでもしたの?」
と聞くとそういう訳でもないようで、娘が話すには突然A君が誰かに対して「怒る」のだと。
娘ともよく遊んでくれていたA君は、私の顔も覚えてくれていたようで、会えば必ず挨拶をしてくれるし、どちらかというと人懐こい印象を持つ男の子でした。
そんな子が「突然そんな風に豹変してしまうなんて・・」と不思議に思っていたのを覚えています。
夏休みが近づいてきた頃、個人面談があったのでA君の事を先生に聞いてみました。
先生からは「原因が解らないから、なるべく目を離さないようにしている」との事で、我が家でも「残念だけど、原因が解るまではあまりA君には近付かないようにね」と伝えました。
それでもA君の暴力や暴言は収まらなかったようで、娘からは毎日のようにA君の話を聞きました。
原因が解らなければ、根本的な解決にはならない。
先生も悩み抜いた末、「終業式前に開かれる保護者会にA君を連れて来てほしい」とお母さんに伝えたそうです。
保護者会に私が行くと、まだあまり人が集まっていないうちから、1人でつまらなそうにしているA君を見つけ、声を掛けました。
私「今日って学校でどんな事したの?」
A君「今日は中休みに皆で鬼ごっこしたんだけど、僕が転んじゃって」
私「怪我しなかった?」
A君「僕が怪我しても、誰も気にしないから良いんだよ」
A君の言葉には、どこか諦めのようなものを感じてしまい、胸が痛くなりました。
小学生の、それも1年生から出る言葉にしては重く、あまりにも辛い言葉で、ただただ衝撃的でした。
私「そんな事ないよ、お母さんだって心配するでしょう?」
A君「良いんだよ、どうせ僕なんて」
「どうせ僕なんて」そんな言葉を使う程、自分を過小評価しなければならないほどに、A君に深い悩みや不満があるのかと驚きました。
その答えは、思わぬ形で、すぐに把握する事が出来ました。
保護者だけの場で、一人、お母さんの隣に座るA君。
娘から聞いている話では、大きな被害は出ていないものの、大半の子がA君から叩かれたり、蹴られたりといった暴力を受けていました。
重い雰囲気の中「本日はお集まり頂きありがとうございます」と先生の一言から保護者会は始まりました。
先生「まずは、A君の事について、皆さんにお母さんからお話があるとの事ですので、お願いします」
一斉にA君のお母さんに視線が集まりました。静かに立ち上がって、私達に向けて深く一礼したA君のお母さんはゆっくりと口を開きました。
「この度は、息子の事で皆様には大変ご迷惑をお掛けしている事と思います」
お母さんが話し始めた途端、A君は俯いてしまい、表情を見る事は出来なくなりました。
「我が家でも、何度も話し合っているのですが原因が解らなくて…先生から学校での出来事を伺う度に、注意しているのですが、習い事にも影響が出てしまっていて…私としても困っています」
お母さんのこの一言に、誰よりも反応したのは他でもないA君でした。
「僕、どれもやりたいなんて言った事ない!」
A君の言葉に、娘から聞いた話を思い出しました。
「A君は水泳と英語、それから塾に通っているんだよ」と。
だから、なかなか遊べないんだ、と。
「何言ってんの!?あんたの為にどれもやらせてあげてる事じゃない!」
静まり返った教室内に、さっきまでとは別人のようなお母さんの声が響きました。
A君がどうして「どうせ僕なんて」そんな言葉を使ったのか、やっと解った気がしました。
A君「僕、やりたいなんて言ってない!もっと皆と遊びたい!」
A君の母親「大きくなってから後悔したって遅いの!私がそうだったんだから!」
あまりのお母さんの剣幕に、誰も言葉を発しませんでした。
発せられなかった、という人も中には居たかもしれません。
自分の家庭にも、当てはまる。そういった人も、きっと中には居た事でしょう。
「A君はA君であって、お母さんの代わりではないんです。後悔した事も、それはお母さんの経験であって、同じ事でA君が後悔するかどうか…それは解らないんじゃないでしょうか」
先生の言葉に私自身もハッとしました。
自分が悩んだ事、後悔した事、辛かった事、苦しかった事。
誰だって、大切な我が子に進んで経験させたい事ではないですよね。
だから、自分と重ね合わせ、同じ失敗や後悔をしないようにと先回りをしてしまう。
だけど、実際の所はどうなのか、と。
親が苦手だったからといって、必ずしも同じものが苦手とは限りません。
親が嫌いなものを、嫌いになるとは限りません。
親が出来なかった事を、出来ないとは限りません。
自分の時はこうだったから、あぁだったからと、子どもの為に考えていた筈なのに、子どもではなく、子どもを通した「当時の自分」を見てしまう。
私自身にも、経験がありました。
けれど、先生の言った通り、娘は娘であって、私の代わりではない。
自分と重ね合わせ、勝手に決めつけ、子どもの為と言って強要してしまう。
A君のお母さんは、その場で泣き崩れました。
その後、その場での話し合いは困難となった為、娘のクラスだけは2学期の始めに再度保護者会が開かれました。
A君のお母さんは欠席でしたが、先生の方に、これからについて、しっかりと家族間で話し合う事が出来たと報告があったそうです。
最初に話題に出た「話し合っていた」というのもお母さんの決めつけありきでのものだった為、A君は理由を言う事が出来なかった事。
皆が帰ってから遊ぶ約束をしているのが羨ましくて、感情のコントロールがうまく出来なかった事。
もっと、お母さんに褒めてほしかった事、甘えたかった事。
だけど、お母さんを悲しませたくなくて、我慢していた事。
最初のきっかけは、早産だったA君の為にと水泳を習わせた事でした。
お母さんも、子供の頃に水泳を習っていたようで、どんどん上達していくA君を見ているうちに、段々と「自分がしたくても出来なかった事」を重ね合わせるようになっていってしまったそうです。
子どもの為と思ってしていた筈の行動が、いつしか自分の後悔を解消する為の手段になってしまっていた事を、これからの生活の中で取り返していきたいと。
A君は夏休みの間に英語と塾は辞めたのだと、後に娘から聞く事が出来ました。
水泳に関しては、もう少し続けてみたいとA君からお母さんに伝えたそうです。
友達と遊ぶ時間も確保でき、思っていた事を伝えられたからか、A君に関する良くない話は全く聞かなくなりました。
3年生になった今も変わらず、元気に遊んでいる姿をよく、公園で見かけます。
走り回って、笑って、遊んで、時にはケンカをして。
私には、このような経験こそが子どもにとって一番大切な事ではないかと思います。
子どもの夢を叶える為、親が出来る限りの事をしてあげたいと思うのはどの家庭でも同じ事でしょう。
ですが、「あれも、これも、それも」と先を見越し過ぎてしまっては「子ども」にとっての大切な事が見えなくなってしまう可能性が高いです。
その夢を叶える為に、一番必要となるスキルを伸ばしてあげる事だけに重点を置き、子どもの方から「もっとこうしたい」といった提案があるまでは、見守ってあげる事も必要ではないでしょうか。
習い事の掛け持ちをさせる事によって失うものは得るものよりも多いように思います。
ですが、「習い事をさせるな」という訳ではありません。
- 掛け持ちに至るまでにきちんと子どもと会話が出来ているか
- 子どもの意思を尊重しているか
- 本当に子どもの為かどうか
以上の事をもう一度自分に問いかけてみてください。もし、ほんの少しでも思う事があるのなら、もう一度、お子さんと向き合ってみて下さい。
その掛け持ちは、「本当に、今、必要な事ですか?」
まとめ
習い事の掛け持ちをする事によって、習い事に充てる時間が増える分、その他の時間が減ります。
この「その他」に含まれる事は習い事以外の全ての時間を指しています。
その中には友達と遊ぶ時間や、家族で過ごす時間も含まれている事を忘れてはいけません。
- 「今」の子どもの為に必要な事は何か、をよく考えてみる。
- 子どもの為に、と思いながら、当時の自分と重ね合わせていないか。
- 子どもは子どもであり、私達、親の代わりではない事を理解しているか。
- 子どもと十分に会話する時間があるか。
もし、ほんの少しでも不安に思う点があったなら、もう一度よく話し合ってみて下さい。
誰であっても「今」という時間は文字通り「今」しかありません。
子どもの「今」をどれだけ有意義なものにしてあげられるかは、親次第です。
習い事はきっかけやタイミングが大事、という話をよく聞きますが、その時期や判断を見誤らないよう、子どもと接する時間を設けてあげるようにしてみて下さいね。